台湾人も味噌汁を飲んでいるのをご存知でしょうか?日本食レストランなどの味噌汁ではありません。それは1945年以降、日本人が去った台湾で現在まで受け継がれてきた日本のお袋の味。いや、台湾のお袋の味。
▲屋根付きの歩道の片隅で営業している、台湾ならではのローカルなお店で味噌汁発見!
味噌汁とは、日本人にとってアイデンティティともいえる、日本を代表する食だと思います。その味噌汁が戦後の台湾…
只今台北に来ています。iPhoneからブログを更新するのは初めてです( ;∀;)すこしドキドキ!(*'ω'*)インスタにアップしたのを少し修正しました。
台北に初めて来た時に、戦前までの日本時代の日本家屋などがやたらとあちこちにあってびっくりしました。それも、現役でボロボロのまま使われていたり、朽ち果てそうだったり、最近では復元やリノベーションされる事も珍しくはないですね♡しかし、復元され…
ちょっとこのブログで「番外編」というカテゴリーを作ってみました。番外編では台湾のことにこだわらず、自分が関心を持ったことを写真で紹介したいと思います。
▲小田急線の生田駅の南側に流れる五反田川に、気持ちよく泳ぐこいのぼり!
私が住む地域の近く、小田急線の生田駅からすぐの線路沿いに流れている五反田川で、たくさんのこいのぼりを設置していると、今年になって初めて知りました。2008年か…
日本統治時代に建てられた神社跡はいまだ台湾中に点在し、様々な形で存在しています。ほとんどは石材やコンクリートでできたものが多いのですが、これらは破壊や撤去の際に大変な労力を必要とするからでしょう。特に鳥居などは大きいものも多いので、石材やコンクリートで作られている場合、壊す方も頭を悩ませたのではないでしょうか。
そのなかでも台南郊外の新化区にある新化神社の大鳥居は、特異…
日本統治時代に建てられたバロック建築が、独特の趣きを見せる大渓老街。様々な店が並ぶ和平路を大漢渓方面へ進み、突き当たりを左へ曲がると大渓中正公園が見えてきます。この公園は日本統治時代の明治45年 (1912年)に大嵙崁公園として日本が整備し、後に大渓公園と呼ばれていました。大渓中正公園に名前が変わったのは、戦後の1975年です。1974年に発令された「日本を象徴する建造物の徹底排除」の法…
大渓神社跡は、桃園市を流れる大漢渓という大きな川沿いの大渓老街のそばにあります。近くに鉄道の駅がないので、台鉄の桃園駅で降りてそこからバスかタクシーで行くことになります。私はその前に台湾の陶器を楽しみたかったので、桃園の一つ手前の鶯歌駅で降り、陶器街に寄ってからタクシーで大渓老街へ向かいました。鶯歌からはタクシーで、途中のどかな田園風景を楽しみながら30分ほどで到着しました。
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MRTの中山駅から徒歩5分ほど。台北市内の林森公園に2基の鳥居があるのをご存知でしょうか。御神木のように大きく立派なアコウの木の下、大小の鳥居が周りを見わたすかのように立っています。台北のど真ん中に位置するこの公園に日本人が知らないで訪れたら、多分不思議な気持ちになるのではないでしょうか。
▲広々として緑豊かな林森公園内の2基の鳥居
*台北の人々の生活に溶け込む日本の象徴
ふら…
汐止神社の歴史を、汐止忠順廟のWEBサイトで見ることができます。 中国語で書いてあるのですが、根気よく解読してみました。すると、汐止神社の歴史には2人の人物が浮かび上がってきました。ひとりは、日本の皇族である北白川宮能久親王(1847~1895年)。もうひとりは蘇樹森(1827~1903年)です。
▲汐止神社一の鳥居、後ろから。数年前まで鳥居の前には橋が架かっており、鳥居の下の灯籠…
台北駅から台鉄の各駅電車で20分弱の汐止駅。私が初めてここを訪れた時、電車の窓から見えた大きな赤い鳥居に、まるで初詣に来たような気分に・・・。汐止神社に行ったのはまだ台湾に残る神社を探し始めて初期の頃でしたので、電車の窓から見えた鳥居にワクワクしたのを思い出します。
▲存在感を放つ赤い大鳥居
駅の改札を抜けて大通りに出ると、向かいに赤い4階建ての消防署の建物があり、その左側に赤い…
豊田神社は、大正3年(1914年)建立、翌年6月に鎮座といわれています。祭神は大国魂命、大巳貴命、少彦名命、北白川宮能久親王です。
現在は、碧蓮寺というお寺になっています。台湾のお寺だというのに日本から持ち込まれた不動明王が祀られていて、日本と台湾の神仏が混合したなかなか興味深いお寺です。
▲豊田神社の狛犬は、かわいらしい表情をしていて珍しい
*日本人移民村の面影が多く残る花蓮
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