【新北】汐止神社 その3:2年ぶりの汐止神社

*汐止神社へ再び!


今年の5月に、仕事で台北へ行ってきました。

今回はあまり自由な行動ができず、時間もなかったので、台北の近辺にある神社遺跡に行ってみようと思い、汐止神社へ再び!!

前回は2015年だったので、2年ぶりです。汐止神社 その1・その2を書く際に汐止神社について詳しく調べていたので、前回見落とした蘇樹森邸や汐止神社跡周辺などを散策してみました。蘇樹森邸とは日本軍の近衛師団に対して土地を提供するなどの貢献により、汐止の街から建ててもらった豪邸だそうです。

そしてあの赤い大鳥居を青空バックで撮りたいという思いもありましたが・・・、

台北はまあまあのうす曇だったけど、汐止の駅に着いたら雨がポツポツ・・・。


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汐止神社跡(汐止忠順廟)入り口にある大鳥居


今回気がついたのですが、大鳥居の笠木は、もしかしたら木材ではないでしょうか。

2本の柱はコンクリート製でまっすぐなのに対して、笠木は丸太のようにいびつな線になっていますし、木材に良くある黒いしみのようなものが目立ちます。これは、機会があったら確かめてみたいですね。

汐止神社は終戦と同時に神社としての機能を失ったため、ここから歩いてすぐの済徳宮から神様を迎えて、名前も汐止忠順廟となりました。



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汐止忠順廟正面。1対の狛犬は汐止神社当時のものです



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忠順廟の神様へご挨拶。この中には汐止神社当時を思わせるものは何も見当たりません



汐止神社跡から歩いてすぐの済徳宮。


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ピンと張ったお尻がかわいい、神社時代の狛犬です! お顔もユニークでいらっしゃる




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廟内部から見える神社時代の灯籠



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▲「益興炭礦株式會社」、そして「汐止公学校 自第一回 至第廿四回同窓會」と彫られた灯籠



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「昭和十四年六月」、「皇紀二千六百年記念」と彫られた灯籠



*神社時代の遺構が大事にされている汐止忠順廟の謎



この廟が面白いのは、台湾の廟として変身を遂げたにもかかわらず、神社時代にこの場所にあったものを未だに置いてある事です。それに他の神社遺跡ではよく見られるような、灯籠などの石材に彫られている文字を潰したり削ったりしたような跡が、ほとんど見当たりません。
しかし、汐止忠順廟入り口の右側にある忠順廟の碑は、汐止神社と彫られた社号標をそのまま利用して彫られています。近づいてよく見ると、忠順廟の文字の下に、汐止神社と文字が読めるように残っています。

これは侮辱してるようにも見えるかもしれませんが、他の神社のパーツがかなり残されていることから、神社だったとわざと残しているようにも見えます。



廟の正面に構える狛犬などは、今も現役といっても良いでしょう。

皇紀2600年記念碑が海外で見られるとは驚きです。神武天皇即位から数えて日本の歴史が2600年という事で、西暦1940年にあたります。

客観的に見て、神社時代のものを大切にしているとしか思えません。

前にブログで書いた花蓮の豊田神社(現・碧蓮寺)も同じようなパターンでした。

碧蓮には、「蓮のように清らかで泥に染まらない」という意味がありました(新しい支配者に染まらないという意味ではないかと、私の妄想)。

汐止忠順廟の「忠順」とは、もしかしたら北白川宮能久親王の可能性もあるのかも・・・などという妄想を私はしてしまいます。

           
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汐止神社の文字が忠順廟の文字の下に重なるように残る。そして鯉のぼり!!



私が訪れたのは5月下旬ですが、汐止忠順廟の周りには鯉のぼりが気持ちよく泳いでいました!以前、花蓮や大渓でも見たことがありますが、これも親日をアピールしているように見えます。


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汐止忠順廟裏の、地元感漂うディープな商店街


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この商店街で太巻きと、アーモンド小魚を発見!


*汐止神社跡周辺を散策



さて、汐止忠順廟の裏に行くと地元の商店街があります。ここは前回も来た場所ですが、またまた散策してみました。

2年前と何も変わっていない様子で、相変わらずディープです。

ここでまた太巻きを発見しました! アーモンド小魚ならぬ、ピーナッツ小魚まで!

日本でもおなじみのこの2つの食べ物は、台湾中で見かけます。戦後、それも近年になって台湾で食べられるようになったのかと思いきや、どうやら日本時代の習慣を未だに持っている世代を中心に、まだ需要があるようなのです。

アーモンド小魚の方は、由来はもしかしたら台南にあるかもと見ているのですが、こんなディープな商店街で太巻きを見るなんて、戦前から食べられていたのだなと確信しました。前回書いた味噌汁ともども、太巻きも私は注目しています。



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商店街をさらに奥へ行くと基隆河の川岸に出ました




そして商店街をさらに奥へ行って見ました! するとさっきのディープな感じとは一変、普通に現代らしい、爽やかな川沿いの遊歩道に出ました。

遊歩道を歩いていると、なにやら巻物のようなオブジェを発見。よく見たらパーフォレーションがデザインされ、写真のフィルムをかたどったオブジェでした。

どうやら汐止の日本統治時代を描いたもののようです。
私が注目したのは、赤い鳥居の絵が描かれていることです。

これは汐止神社の鳥居に間違いないでしょう。

思いつきでぶらりと散策してみましたが、こんな発見があるとはうれしいですね。

今でもあの赤い鳥居は、汐止の人々に親しまれているのでしょうか・・・。

中国語ができたなら、掃除していたおばちゃんに聞くことができたのになあ・・・

と悔やみます。



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日本統治時代を描いたと思われるオブジェ




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▲基隆河に逆流した水を支流に逃がすための堤防の施設でしょうか?川に対し横に建てられています。

右は土手沿いの壁にあった大きなレリーフ。これにも日本統治時代を描いたと思われる風景があります



遊歩道をさらに進むと、基隆河の土手へ出ました。ここからは河が一望でき、遊歩道があった場所には大きな堤防の施設がありました。基隆河に流れ込む支流はとても深く掘られて工事されていて、なるほど、汐止という地名の由来はこういう事なのかと実感することができました。
このあたりは清の時代は、海が満潮になると海水が逆流することから、「水返脚」と呼ばれていたそうです。

この堤防の施設は、その水害対策のためのものなのでしょう。

汐止に名前が変わったのは、日本統治時代だそうです。



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レンガ造りの遺跡らしき物体



川沿いを歩いていると、なにやら日本時代の遺跡のようなものを発見!

蘇樹森の邸宅と関係がありそうですが・・・。
そう、今回の汐止神社跡での最大のミッション・・・、蘇樹森邸を探すこと。
下の写真です。地図を印刷して現場を歩き回ったのですが、地図の縮尺がおかしくて無駄に歩き回ってしまいました。

場所は赤い大鳥居の隣にある消防署のすぐそばでした。


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蘇樹森邸



この建物は、台湾割譲後、台湾征討のために上陸した北白川宮能久親王率いる近衛師団の日本軍を迎え入れ、土地を提供した地元の有力者の蘇樹森のために建てられた豪邸です。残念ながら私有地で公開しているわけではないので、中には入れません。


今回の汐止神社跡を再び訪れ、何度も足を運ぶ大切さを実感しました。

前に見落とした景色や感じられなかったこと・・・、時間が経てば変化もあります。

それに、神社跡に自分がいるっていうことが楽しくてしょうがない。

今回一番残念だったことは、前回食べた麺屋が品切れで食べられなかったことです!

悔しかった・・・。


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