【台南】新化神社:生活感漂う路地の大鳥居




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日本統治時代に建てられた神社跡はいまだ台湾中に点在し、様々な形で存在しています。ほとんどは石材やコンクリートでできたものが多いのですが、これらは破壊や撤去の際に大変な労力を必要とするからでしょう。
特に鳥居などは大きいものも多いので、石材やコンクリートで作られている場合、壊す方も頭を悩ませたのではないでしょうか。

そのなかでも台南郊外の新化区にある新化神社の大鳥居は、特異な存在だと思います。住宅街の路地に存在を消したかのように立っていて、他の神社遺跡とは異なる印象を受けます。
このように周りの景色や建物などに溶け込んだ鳥居は台湾の中に何ヵ所か存在しますが、しかしここの鳥居はかなり巨大です。日本人が鳥居の存在を知らずにこの場所に来たら、ぶっとい電柱だと思って気にも留めないのではないでしょうか・・・。

鳥居の形が柱の構造物のような、シンプルな神明系の鳥居だからなのかもしれません。日本人には見慣れた形だからこそ、外国の地に鳥居があると気がついた時、感動が生まれるのではないかと思います。住宅街の路地になにげなくある鳥居は、日本でしたら日常的な光景ですから。





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▲台湾でよく見かける生活感のある路地に、突如大きな鳥居が・・・



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▲大きな荷物を引っ張ってスクーターが通る。俺たちにとっちゃ、このぶっとい柱は日常の風景さ




*清の時代にできたダム湖のほとりに建てられた新化社・そして新化神社



新化神社の大鳥居は、台南駅から車で30分ほどの郊外、美しい景観で知られる虎頭埤という人造湖がある虎頭埤風景区の入り口付近にあります。

新化神社の社殿があった場所は虎頭埤風景区の中にありますので、興味のある方は入場料を払って見に行くのもいいでしょう。

大人ひとり80元です(2016年5月時点)。80元払う価値はありますよ。

なんといっても虎頭埤は古くから風光明媚な場所として知られ、日本統治時代には「台灣八景十二勝」に選ばれました。その景観から小日月潭ともいわれていて、台湾では親しまれてきた場所です。


虎頭埤のゲートから中に入ってみると、急に目の前が開け、大きな湖を遠くまで見渡せます。中はとても静かで、家族連れが楽しそうにしているほのぼのとした場所でした。



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▲虎頭埤風景区入り口、大人80


  

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▲虎頭埤は結構入り組んでいて、その中の一風景です




虎頭埤は清の時代の1846年に建設された台湾最古のダム湖で、170年以上の歴史があります。日本統治時代の昭和4年(1929年)、虎頭埤の湖畔に昭和天皇即位記念として新化社が建てられました。

祭神は天照大神、北白川宮能久親王です。創建時は小規模な社だったようですが、昭和18年(1943年)9月、近くに新化神社として立派な社殿が建てられました。祭神も増え、天照大神、豊受大神、明治天皇、北白川宮能久親王が鎮座しました。ある意味、ただの社から神社に〝進化〟したのでしょうか・・・。

新化社の遺跡ですが、現在は遊歩道沿いに残骸が点々とあり、見るのもむなしくなりますが、あえてそのまま保存してあるように思えます。虎頭埤風景区の入り口から少し歩いた湖沿いに、新化社の社号の石碑があったようなのですが・・・、時間がない中急に訪れることになったため、社号碑のことをすっかり忘れていて、写真を撮ることができませんでした。



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▲参道の階段と新化神社社殿があった場所。現在は駐車場になっています




後に造営された新化神社の方も社殿などは残っておらず、跡地は虎頭埤風景区の駐車場になっています。しかし、周辺の石垣などの土台や石の階段に、神社だったことを物語る痕跡が伺えます。

また、駐車場近くには地下室らしき存在があると聞いていたのですが、こちらもすっかり忘れてしまっていました・・・、残念。またいつここへ来れるかわかりませんが、次は是非行きたい・・・。



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▲階段脇に残された土台の石垣。この周辺には謎の石のオブジェが点在しています・・・

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▲昭和天皇即位記念に建てられた新化社の痕跡を探しに、遊歩道を探索。うっそうとした草木に囲まれて、ちょっとした宝探し気分。灯籠などの残骸があちこちに点在するが、新化社の社殿あたりの痕跡はわかりませんでした



*住宅街に建つ大鳥居の謎

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WEBで昔の新化神社の鳥居の写真がないか調べていたら、1枚だけ発見しました。しかし、その写真は日本統治時代のものではなく、おそらく戦後間もない時の写真なのではと思われます。自分の写真ではないので、お見せできないのが残念ですが。鳥居の柱には「三軍一家 養天地正氣 法古今完人」の文字が書かれていました。「養天地正氣 法古今完人」は、孫文が蒋介石宛に送った書物の言葉だそうです。



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▲黄金神社に続き、3DCGで新化神社鳥居も戦後の姿で再現!こんなこと書かれていたら国民党も手出しできなかったのでは・・・



このWEBページには、他にも戦後まもなく撮影されたと思われる台湾の神社の写真が多く載っていますが、どの鳥居にも漢文で言葉が書かれています。「青天白日」、「中山公園」だとか、明らかに戦後の国民党下のものであることには間違いはないでしょう。新化神社の場合、なぜ漢文が鳥居に書かれていたかというと、それはたぶん地元の人が国民党を意識して書いたものではないでしょうか。


大陸から来た国民党はまず、戦勝国という意識で日本を思わせる建造物などを破壊してまわっていたといわれています。そこで地元の人が鳥居の撤去や破壊から守るために、孫文の言葉を書いたのかもしれません。
守るためではないのなら、台湾人を支配していた憎むべき日本の象徴である鳥居は、国民党がやらなくとも台湾人の手によって破壊されていたことでしょう。


現在はその言葉は消されていて見ることはできませんが、かわりに「虎頭埤→」の案内の文字が大きくペンキで書かれています・・・。

これはこれで、便利な看板代わりといったところでしょうか・・・。

こういったケースを見るのも、日本統治時代の遺跡探索の醍醐味ではないでしょうか。



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▲虎頭埤→こちらです・・・



  

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▲もうひとつの橋から見えた「神橋」




この鳥居のそばには、参道途中に架かっていた神橋があります。

私が訪れた時には橋の入り口が板で塞がれていて、通ることも見ることもできませんでした。

かろうじて、もうひとつの橋から望むことができましたが。この神橋の周りにも、灯籠の土台などの跡があるようです。

今年2月の台湾のニュースで、この参道が開通し、神橋も渡れるようになったという報道がありました。


このように、日本統治時代の神社や建築物が見直される傾向になったことは、日本人として喜ばしい限りです。

しかし、こんな神社遺跡を紹介しているのにもかかわらず、私の中にはこういった日本の遺跡たちを、そのまま手付かずでずっと静かに見守っていたい、というもうひとりの自分も存在しています。 


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▲神橋周辺の風景は、東南アジアの田舎っぽい、ほのぼのしたファンタジーな雰囲気かも・・・



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では、また!





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