【桃園】大渓神社 その2:蒋介石像と同じ公園の中に佇む神社の跡


uapc18_9977.jpg


日本統治時代に建てられたバロック建築が、独特の趣きを見せる大渓老街。様々な店が並ぶ和平路を大漢渓方面へ進み、突き当たりを左へ曲がると大渓中正公園が見えてきます。

この公園は日本統治時代の明治45(1912)に大嵙崁公園として日本が整備し、後に大渓公園と呼ばれていました。

大渓中正公園に名前が変わったのは、戦後の1975年です。1974年に発令された「日本を象徴する建造物の徹底排除」の法令の翌年なので、その一環で名前が変えられたのかもしれませんね。

ちなみに中正とは蒋介石の本名で、台湾では中正が一般的のようです。

大渓は蒋介石のお気に入りの場所として知られ、別荘もありました。

死後彼の遺体は大渓老街から車で約15分の慈湖陵寢に安置されています。




ubpc18_0026.jpg








▲社殿が建っていた場所から参道を臨む。灯籠は新しく復元されたようです




ubpc18_0082.jpg
▲蒋介石の大きな像。現在の大渓中正公園の名は、彼の本名から付けられています。戦後の日本に恩を仇で返され反日政策に切り替えた蒋介石の像と、日本の象徴でもある神社遺跡が同じ場所にあるのは面白いかもですね。ちなみに現在、台湾中で蒋介石像を撤去しようとする動きがあるそうです





uapc18_9975.jpg
▲日本統治時代に整備された公園。どこか日本庭園のような趣きがあります     



中正公園に入ると、広々として緑が清々しく、とても気持ちがよいです。
遊歩道も整備され、ご近所さんも観光客ものんびり散歩を楽しんでいるようです。元々日本が作った公園だからでしょうか、大きな池があり、まるで日本庭園のようにも見えます。

池のお魚と戯れていると、ふと目線を上げた先に見覚えのあるものが点々と並んでるのを感じました。何基もの灯籠が参道沿いに、奥まで続くように並んでいます。

大渓神社跡は、この公園の片隅で周りの景色になじんで、ひっそりと佇んでいたのです。




ukqb23_daikei_13.jpg
▲復元された灯籠とはいえ、このおかげで神社らしさが出ているのかもしれません。新しい灯籠もうっすらと苔が生えていて、緑の多い公園の中に溶け込んでいます





大渓神社で現在残されているのは、社殿の土台と狛犬のみのようです。最初に目に留まった10基の灯籠は新しいので、どうやら当時のものではないようです。

ほかには破壊された碑や、灯籠などの土台部分でしょうか、石材が一ヵ所にまとめられていました。これらは、大渓神社について台湾人が書いたブログを見ると、数年前まで公園内に散在し、なんと椅子やテーブル代わりになっていたようです。




uapc18_9996.jpg

▲以前、椅子やテーブルにされていた石材は現在、このように保管されています(2016年撮影)




ubpc18_0047.jpg
▲神社の社殿があった土台部分の石垣。この石垣に日本を感じてしまいます



大渓神社は昭和7年(1932)鎮座。祭神は大国魂命、大己貴命、少彦名命、能久親王です。現在社殿はなく、跡地には当時を思わせる石積みが残り、その上に「超然亭」と名付けられた大きな展望台が建っています。

上ってみると大漢渓が見渡せて気持ちがよいのですが、ここが神社の本殿だったことを思うと日本人として、とても複雑な心境に・・・。





ukqb23_daikei_10.jpg
▲左上は大渓神社の社殿跡。現在は超然亭という展望台に。大漢渓が見渡せて眺めがいいですよ!



大渓神社で目を惹くのは、やはり狛犬でしょうか。

新しく設置された灯籠と違い、石が黒ずんで、いかにも年月を重ねてきた風格があります。これは当時のものであることは間違いないでしょう。

向かって左側の狛犬は、なんと子持ちです。なかなか珍しいのではないでしょうか?

親狛犬?に守られているように見えて、なんともかわいいですね。

また、狛犬の土台には「加藤仁作」と大きく彫られており、最初加藤仁さんという有名な芸術家か職人の名前なのかと勘違いしてしまいました。




ukqb23_daikei_9.jpg
▲これは当時の狛犬です。向かって左側の狛犬はかわいらしい子狛犬を抱いています



ukqb23_daikei_8.jpg

▲初めて見た時、加藤仁さん作と読み、もしや芸術家の作品??かと思い込んでしまいました・・・。





神社の建造物でこのように一人だけの名前が掘られているものは、わりと珍しいのではと思いました。色々調べてみたところ、加藤仁作さんは当時の大渓でかなり有力な商人だったようです。


大渓神社の鳥居が写っている古い写真をWEBで見つけたのですが、なんと鳥居の柱にも大きく加藤仁作と彫られているではありませんか。

大渓神社の建立には、彼の力がかなり大きかったようですね。相当な実力者だったのでは?

しかし、それ以上の情報は今のところ謎です・・・。


公園には、他にも統治時代の面影を残すものがあります。円形のステージのような場所が園内にありますが、ここは当時は相撲場でした。土俵はもうありませんが、円形の構造や観客席などに統治時代の面影を見ることができます。




ukqb23_daikei_12.jpg

▲左は忠魂碑跡の復興亭。右は台湾でここにだけ残っている相撲場





かつてこの場所には、「その1」で書いた大漢渓の戦闘で亡くなられた兵士を慰霊するための忠魂碑もありました。碑は大渓神社ができる以前に建てられ、およそ6メートルもの高さがあったそうです。戦後国民党政府が壊したため、現在は基礎の土台を残し、復興亭という市民の休憩所になっています。

この忠魂碑が建てられた場所に神社ができたのは、兵士を慰霊するためではないようですが、作られた時にはそのような気持ちがあったのではないかと勝手に想像します。

大渓神社の祭神のうち一柱の神様が北白川宮能久親王にもなっているように、台湾平定のため近衛師団を率いた能久親王とも深いかかわりを持つ場所でもありますね。

もし、この場所を訪れたなら、今はなき忠魂碑跡の復興亭で一礼して、お互いの戦死者を想うのもよいでしょう。


また、公園の周辺には警察官が武道を学ぶ場だった「武徳殿」をはじめ、日本統治時代の建築物が多く残されていますので、あわせて立ち寄ってみると当時の様子がよりわかるのではないでしょうか。





ukqb23_daikei_6.jpg

▲公園周辺に残された日本統治時代の建築物。上は武道場だった「武徳殿」、その下は大渓国民小学校の校長の宿舎だった日本家屋。丸い石はいったいなんでしょうか?? 当時のものに違いないと思われますが・・・





*大渓、個人的な興味として・・・


大渓へ行く前にWEBのストリートビューで神社周りを探索したところ、私の大好物の腸粉(チョンファン)の屋台や、飲茶のお店の看板を発見。

私は過去に香港を何度も訪れているのですが、飲茶の點心が大好物で、なかでも腸粉には目がありません。特に叉焼腸粉は、プヨプヨした皮とチャーシューがたまりませんね・・・。
私は台北を訪れた際には、必ず港式飲茶のお店に行くほど飲茶を愛しています。そのお店はこのブログのタイトルにもなっていたりしますが・・・。



ukqb23_daikei_1.jpg

▲邪道かもしれませんが、私は台湾でも香港のものが食べたくなります。大好物の腸粉と牛肉丸





ukqb23_daikei_5.jpg

▲私の目を釘付けにした腸粉屋台・・・、しかしお休み中・・・





大渓を訪れたのが平日だったからか、中正公園沿いの腸粉屋台は閉まっていて、がっかり。しかし、登龍路で港式の看板を発見しました!!

港式とは、香港式のことです。


大渓では数軒、港式飲茶屋の看板を見たのですが、香港となにか関係がある街なのでしょうか? 気になります・・・。





ukqb23_daikei_3.jpg

▲大渓の食にはちょっと注目すべき点が。 飲茶以外にも日本の食べ物を連想させるものがあちこちにあります。左の写真は昆布の煮物?? 真ん中は厚揚げ?? 右はお豆腐を味付けして干した「豆干」です。チョコパイではありません







ukqb23_daikei_4.jpg

▲以前、花蓮へ行った時にも鯉のぼりを見たことがあります。大溪も日本の心が今も息づいている街なのでしょう(3月中旬に訪れました)



ではまた。







この記事へのコメント


この記事へのトラックバック