【新北】汐止神社 その1:一瞬、ここは日本なのでは・・・と錯覚

台北駅から台鉄の各駅電車で20分弱の汐止駅。

私が初めてここを訪れた時、電車の窓から見えた大きな赤い鳥居に、まるで初詣に来たような気分に・・・。

汐止神社に行ったのはまだ台湾に残る神社を探し始めて初期の頃でしたので、電車の窓から見えた鳥居にワクワクしたのを思い出します。



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▲存在感を放つ赤い大鳥居




駅の改札を抜けて大通りに出ると、向かいに赤い4階建ての消防署の建物があり、その左側に赤い大きな鳥居が建っていました。

消防署の2階ほどの高さがあり、近くで見るとその圧倒するような存在感に私は感動を覚えました。

今でも、とても印象に残っている神社跡です。


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▲駅を降りて大きな通り(大同路)へ出るとすぐ赤い鳥居が見えます


私は以前、台湾で唯一社殿が破壊されずに残っている桃園神社を見てから、他にも神社の一部が台湾中に残されているという事を知り、台湾を訪れるたびに探して歩くのが趣味のようになりました。台湾の玄関・桃園空港がある桃園県の桃園神社は、南国特有のジャングルのような静かな山の中にひっそりと存在している感じでした。

汐止神社の鳥居は桃園神社とは違い、堂々としていて、その存在を主張しているかのように大きく、街のシンボルのように見えました。

そんな鳥居のたたずまいは、今でも汐止の街の人々に親しまれているという証のように思えます。




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▲赤い鳥居の下にある灯籠。参道のガジュマルの木が南国気分にさせます。参道をまっすぐ進むと、廟の入り口に着きます。いきなり日本の灯籠がお出迎えです




*皇紀2600年記念碑


大きな鳥居をくぐって参道を進むと、台湾の廟が見えてきます。汐止神社跡は現在「汐止忠順廟」という廟になっています。
廟の入り口に近づくと、いきなり日本式の灯籠がありました。

文字の確認のために石の灯籠を見てみると、そこには「皇紀二千六百年」と刻まれているではありませんか!

戦後の台湾では、多くの日本の痕跡が破壊されました。体中に電気が走ったかの如く、私の心はその文字に釘付けに・・・。

これが無事だったのか・・・。



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▲入り口の灯籠に掘られた皇紀二千六百年記念の文字




「皇紀」という言葉は、今の日本でも見かけることはあまりありません。明治維新ののち、日本は平安時代以後で初めて完全な中央集権国家になったことから、初代神武天皇の即位から数えて年号を付けました。皇紀2600年は昭和15年を指しています。映画「永遠の0」で知られたゼロ戦は、作られた年の皇紀2600年の下2桁の「00」を取って零式艦上戦闘機、略して「ゼロ戦」と呼ばれました。

皇紀2600年である昭和15年は、日本が誕生して2600年という事で日本中が祝賀ムードになっていたそうです。

宮崎県には今でも皇紀2600年を記念した36メートルにも及ぶ八紘之基柱(現・平和の塔)が建てられています。

ここ数年登山をするようになった私は、福島県の安達太良山に登った時、山頂に皇紀2600年の記念碑を見つけ、こんなところにあったのかとびっくりしました。

その年には多くの記念碑が作られたようです。


戦後の日本では皇紀は使われなくなりましたが、気をつけて見てみれば、日本国中で皇紀2600年の記念碑を見る事ができるようです。

しかし、台湾でこの碑を見ることになるとは夢にも思わなかった・・・。

もしかしたら台湾の他の場所にもあるかもしれませんね。


皇紀という年号については、戦争によって悪いイメージを持つことになってしまいましたが、長い歴史を日本は持っているという事がわかる日本独自の年号なので、ロマンがあって私は好きです。

ここの境内には、他にも昭和12年、14年といった文字が彫られた灯籠がありました。

このようなものを海外の地で見ることは、考古学的にというか(もちろん日本は今も存在していますが)、その昔存在していた日本の断片というか、痕跡を発見したかのような感覚でしょうか・・・、とても感慨深く感じたのを覚えています。



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▲福島県安達太良山頂で見つけた皇紀2600年記念碑



*日本との深い絆? 


汐止神社は昭和12年(1937年)鎮座、祭神は天照大神、大己貴命、倉稲魂命、明治天皇、北白川宮能久親王が祀られていました。

この神社は日清戦争後、清国から割譲された台湾を平定するために近衛師団を率いて上陸した北白川宮能久親王が宿営地にし、その後御遺跡になった場所に隣接して建立された神社です。

北白川宮能久親王については、次回に詳しくふれたいと思います。


現在、忠順廟となっているここのWEBサイトを見てみると、汐止神社ができたいきさつなども紹介され、北白川宮能久親王を否定的ではなく歴史の一コマとして捉えているということがわかります。

前回紹介した豊田神社のような、台湾の廟と日本式の神社が融合しているような不思議な廟でした。戦後から70年以上経つというのに、依然として街の風景にとけ込んでいる日本の痕跡。

「台湾は、かつての日本の植民地」と、多くの日本人は少し後ろめたさを感じる事もあるでしょう・・・。しかし台湾の人々とその話をすると、意外とあっけらかんとしている印象を受けます。台北周辺にもこのようなところがありますので、機会があったら「日本時代の痕跡」を見にいくのも、今までにない台湾旅行になるのではないでしょうか。


汐止神社 その2 へ続く・・・。



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▲こちらが現在建っている汐止忠順廟の正面。奥には汐止神社時代の狛犬が廟を見守っています


☆この汐止神社は、以前「世界ガイド」というWEBサイトに投稿した記事をこのブログのためにリライトしました。




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