【花蓮】豊田神社 その2:今も祀られている日本の不動明王の謎

豊田神社は、大正3年(1914)建立、翌年6月に鎮座といわれています。

祭神は大国魂命、大巳貴命、少彦名命、北白川宮能久親王です。


現在は、碧蓮寺というお寺になっています。台湾のお寺だというのに日本から持ち込まれた不動明王が祀られていて、日本と台湾の神仏が混合したなかなか興味深いお寺です。



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▲豊田神社の狛犬は、かわいらしい表情をしていて珍しい


*日本人移民村の面影が多く残る花蓮


花蓮は日本人の移民村があった場所であり、大和民族の模範村を作ろうと計画された地域です。もともと台湾東側の花蓮の辺りはマレーポリネシア系の原住民、タロコ族やアミ族などが住んでいました。原住民は山で生活し、狩猟を主な生業とし、平地は誰も住んでいない原野でした。今でも花蓮は広々とした印象で、大理石の産地である太魯閣(タロコ)渓谷は観光名所として知られています。そして東側の海沿いを走る台湾鉄道からの風景は、ものすごいスケールの断崖絶壁が続き、旅心をくすぐります!



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▲台湾総督長谷川清氏が書いた開村30周年記念碑と、豊田神社の説明が書かれた看板。今は多文化融合の教育場所として使われているようです。近隣の林田村にあった本願寺の鐘もここにあるようです


明治32(1899)に民間での移民が試験的に始まり、明治43(1910)から政府運営の移民が大規模に行われました。豊田村はお隣の吉野村に続き、官営で番目にできた移民村です。現在、豊田村の名は寿豊郷という住所になっていますが、台湾鉄道の豊田駅にその名は残されています。


豊田神社跡はこの豊田駅から徒歩20分ほどで、他にも日本統治時代の面影がある派出所が「寿豊郷文史館」として資料館になっていたり、日本人墓地が残されていたりと、積極的に日本統治時代の歴史を保存しようとしている土地柄のようです。




 ubpe17_3246 入り口にある当時の灯籠。国民党が灯籠を倒して文字を潰したていったらしい。.jpg ubpe17_3218 豊田神社時代の灯籠。昭和3年と確認できるが、一部かき消されている。.jpg ubpe17_3215 .jpg 

▲左入り口にある当時の灯籠。国民党が灯籠を倒して文字を潰していったようです  中)昭和三年と確認できますが、一部かき消されています  右真新しい灯籠。これは近年復元されたものでしょう。年号の文字がありませんでした。復元されたというより、近年奉納されたという感じがします




*豊田神社(現・碧蓮寺)の不動明王の謎


さて、豊田神社跡ですが、現在は碧蓮寺というお寺になっています。

碧蓮寺関連の台湾のサイトを色々と解読してみたところによると、

終戦後、ほとんどの日本人は1946月までに日本に引揚げてしまいました。この年の12月、豊田村の台湾の人々は残された豊田神社の事を話し合って、西寧寺から不動明王を神社に迎えました。そして翌年、豊田神社改め碧蓮寺と暫定的に名前を変えます。

1958年、豊田神社の社殿は台風で倒壊してしまい、1961年に今の台湾風の社殿に建て直されて、翌年名前も正式に碧蓮寺となりました。

その後あらたに観音菩薩や弥勒菩薩、地母娘娘、天上聖母、五穀先帝など、台湾の仏様や神様が迎えられました・・・。


ということのようです。




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▲狛犬はやせ細ったユニークな姿をしています。これには何か意味があるのかもしれませんね




碧蓮寺に移された不動明王が祀られていた西寧寺とは、調べてみたら吉野移民村があった現在の吉安郷の木瓜渓沿いにある事がわかりました。

西寧寺のサイトによると、ここにはもともと深堀神社があって日本の不動明王が祀られていたそうです。深堀神社は碧蓮寺と同じく、1958年の台風で社が流され、その後お寺として建て直されて西寧寺になりました(由来については別の説もあり)。
1946
年に西寧寺(深堀神社)の不動明王が碧蓮寺に移されたため、後に太魯閣渓谷の寧安橋付近の天王寺にあった不動明王を迎え、現在の西寧寺に至ったようです。この辺をさらに述べると豊田神社の話からそれますので省きます・・・。


 ubpe17_3271 .jpg▲もう片方の狛犬、今はお寺のシンボル! どこから見てもかわいいね!




*深堀神社とは?


台湾総督府は明治30(1897)、南北に走る険しい山脈を横切る東西横断鉄道を作る計画を立て、その調査のために探検隊を派遣します。深堀安一郎大尉の探検隊が、台湾中部の原住民の住む埔里社から花蓮に向かいました。この調査は非常に険しい地形を通り、なおかつ日本にまだ心を許していなかった一部の原住民が暮らす山岳地帯を抜ける危険な任務でした。そしてその途中、深堀大尉一行は霧社の原住民に襲われ、殺害されてしまったのです。

その慰霊のために現在の西寧寺の場所に深堀大尉と一行を祀るための社を建て、日本から不動明王を迎えたのが、深堀神社だったようです。

(原住民による反日行動は度々起こっていましたが、昭和5年(1930年)におよそ140名もの日本人を殺害した霧社事件を契機に台湾を統治してから35年後、ようやく収まっていきました。)


ubpe17_3267 見た目は台湾のお寺だが、日本の不動明王が御本尊だ!。.jpg
見た目は台湾のお寺ですが、中身は今も日本??



*碧蓮寺としての始まりは日本統治時代の不動明王??


終戦と同時に中華民国国民党が戦勝国進駐軍として台湾に入って来ましたが、中には日本の神社などを破壊する者がいたようです(本格的には日中共同声明後)。

そのようなことから逃れるため、西寧寺(深堀神社)から不動明王を迎え、中国でも馴染みのあるお寺にして日本の象徴ともいえる神社を守ろうとしたのではないでしょうか(このような事は、台湾の他の場所でもあったようです)。

碧蓮寺という名前は「蓮のように清らかで泥に染まらない」という意味で付けられたそうですが、私には新しい台湾の支配者に染まらないという意味に思えてしまいました・・・。


70年以上経った今も日本時代からの不動明王が仏様として大事に祀られているのは、その土地に根付いているということはもちろんですが、その当時の日本に親しみを残しているという面もあるように思えます。

なぜ台湾人たちはそうまでして日本の遺構を大事にしたのでしょうか? 
特に原住民は生活すべてを変えられ、日本への不満が大きかったはずです。それは今後色々な神社跡を調べていくうちに見えてくる気がします。


ちなみに碧蓮寺には釈迦牟尼仏も不動明王と同時に祀られたのですが、由来は私が調べた限りでははっきりしませんでした。



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碧蓮寺入り口。サークル状の柱は当時の鳥居を利用しているらしいです。このサークルは、まるで4つの日本の灯籠を守っている結界に見えてしまうのですが・・・、考えすぎでしょうか??




*花蓮で今も歴史を重ねる鳥居と狛犬


碧蓮寺の社殿の前には、今も豊田神社時代の狛犬が座っています。境内には倒れてしまった大きな御神木が大事に保管されています。開村三十周年の記念碑も堂々と建っています。
台湾の他の廟やお寺にも日本時代の遺構が残されているところはありますが、碧蓮寺はそれとは明らかに雰囲気が違うように思えます。

もしかしたら住民にとって碧蓮寺は、未だ豊田神社のままのような気がしてなりません。


碧蓮寺からおよそ700メートル先に、現在も豊田神社の鳥居がありますが、ここの鳥居も原型をとどめている貴重な鳥居です。今回は時間がなく残念なことに、肝心の鳥居を見る事ができませんでした・・・。

不動明王についてはまだ謎がありますが、豊田神社に再び行くことがあったなら、もっと詳しく真相を追究してみたいです。



そして100年以上前の遥か昔、花蓮で苦労した日本人移民たちの事を想い、やせ細った狛犬をしばらく眺めていたい・・・。



☆話のメインの不動明王の写真も時間がなくて撮れませんでした(≧∇≦)☆


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