【新北】黄金神社 その2 :台湾に現存する最古?の神社遺跡、今では金運のパワースポット?


黄金神社の創建は、明治 31(1898)。祭神は、大国主命、猿田彦命、金山彦命の三神です。金山彦命は金の山の字のとおり、鉱山の神として信仰されています。今、黄金神社跡は金運上昇のパワースポットとして、ひそかに注目を集めているそうです。



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▲本殿跡から入り口方向を見たところ。標高はそれほど高くはないですが、周りを山にかこまれているせいか、神聖な雰囲気です。



*黄金神社と金鉱開発



明治28(1895)に日清戦争で台湾が日本領になってから程なくして、日本は金の採掘に力を入れました。

基隆山を挟んで西側を、石見銀山などを手掛けた現・DOWAホールディングス株式会社の藤田組、金瓜石のある東側を釜石で近代製鉄の礎を築いた田中長兵衛氏率いる田中組が、採掘を担当することになります。


黄金神社がある黄金博物園區では、2014年に博物館で「金瓜石神社與山神祭特展」を開催しており、最近になってこの事を知った私は愕然としてしまいました。そのときの資料がとても素晴らしいのですが、膨大な中国語を翻訳し、解読するのも一苦労・・・。



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▲神社入り口の灯籠から。長い年月補修されていなかったのでしょう。石の階段はボロボロ。灯籠の奉納の文字に日本を感じます。



さて、その資料によると、田中組の金瓜石での最初の仕事が、この黄金神社の建設でした。黄金神社の創建は明治31(1898)で、台湾の神社の中でもかなり古く、3番目にできた神社のようです。台湾で最も重要な神社とされていた台湾神宮が、真っ先にできていたのかと思いきや明治34(1901)の創建で、黄金神社のような民間で建てた小規模な神社が早くに建てられていたことは、神社信仰が当時の日本人にとって重要な事だったのだと伺えます。

さらにその資料によると、「基隆郡瑞芳庄要覽」というものに「明治三十年金瓜石鑛山事業開始當時ハ土匪出沒ノ為メ一般就業者ハ常ニ不安ノ念ニ驅ラレ居リタタルヲ以テ人心ヲ安定セシムベク神社建立ヲナスコト」と記載されていたようです。特に鉱山は事故の恐れもあり、また、金瓜石周辺は土匪(山賊?)などが出没することから、従業員の心の安定のための配慮があった事がわかります。田中長兵衛氏は神社の他、お寺も建て、死亡事故などの善後処置に対処しました。

日本本土を離れ、習慣の違う異国の地で働く日本人からすれば、もしもの事があった時、日本の習慣で対処できる場所があるということは大事なことだったのでしょう。外国だった土地を自分の領土にし、現地に対して権威を示す意味で神社など宗教施設が造られた面もあると思いますが、同時に日本人自身の心のよりどころとしての機能も大切だと考えられていたのではないでしょうか。

実際、私自身も仕事で台北に長期で訪れた際は、時間があれば林森公園にある鳥居を眺めに行きますが、たしかに日本を感じられ、安心感が得られてホッとするひとときです(私だけかもしれませんが・・・)。



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▲拝殿跡正面。奥の階段は本殿の階段。 




*二代目黄金神社の誕生と戦時意識


現在金瓜石に遺されている黄金神社跡は、実は二代目の社殿で、「日本鉱業株式会社」が建立した神社跡です。

黄金神社の最初の社殿を建てた田中組は大正14 (1925)に鉱山の経営を仲間に譲り、「金瓜石鉱山株式会社」が設立されました。そして昭和(1933)、海外の鉱山開発を進めていた日本鉱業(現・JX金属)が金瓜石鉱山株式会社を買収し、「台湾鉱業株式会社」と社名を変更します。そして昭和12(1937)に社殿を改築し、伊勢神宮などで見られるような、神明造の社殿に生まれ変わりました。


昭和12(1937)といえば、日中戦争が始まった年です。

この頃、中国との戦争の気運が高まり、皇民化運動(外地の住民に対して日本人と同じ意識を持たせること)が始められた頃にあたります。日本国内でも「国家総動員法」が昭和13(1938)に成立し、国民に戦時意識を持たせていった頃です。台湾に建てられた神社を調べると面白い事に、この昭和12年前後で建立された神社がかなり多い事がわかります。これは、皇民化運動と連動していると思ってもよいでしょう。それほど宗教観というものが、人に与える影響が強いということなのでしょうか。
しかし、「はじめに その2 : なぜ台湾に神社があるのか??」でも書いたように、神社参拝は義務のようになりましたが、今まで台湾人が馴染んできた宗教を禁止するということは行われていませんでした。


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▲神社入り口付近にある、田中組が建てた初代黄金神社の鳥居の跡。明神鳥居で、現在残る鳥居よりかなり小さかったようです。




*最新技術の鉄筋コンクリート採用


現存する10本の柱は鉄筋コンクリート製で、鳥居と灯籠、旗竿台もコンクリート製です。明治になってからヨーロッパの鉄筋コンクリート技術が日本に輸入され、近代建築の主流になっていきます。

黄金神社が建つ地域は一年を通して降水量が多く、台湾の東側に面することから台風も直撃する地域で木造建築には厳しい環境のうえ、初代目黄金神社ではシロアリなどに悩まされたことから新しいコンクリート技術を採用したようです。

コンクリート製神社は今や国内でも結構ありますが、多くが関東大震災や東京大空襲などの影響で、地震や火災などに強い構造を求めた末の結論として採用されたようです。昭和6年には東京の椙森神社が鉄筋コンクリート社殿を建て、空襲にも耐えて現在もその姿を残しています。

そういえば、以前行った事がある伊勢の夫婦岩で有名な二見興玉神社のような歴史ある神社でも鉄筋コンクリート社殿でした。海沿いの岩場にあり、やはり木製では海風に弱そうです・・・。

黄金神社は、柱の部分のみ鉄筋コンクリート製で、社殿は木製でした。


また、鉄筋が入ってるためなのか、破壊しようにも簡単に壊す事ができなかったのだと思われ、結果鳥居はシルエットを保つ修復がされているのではないかと思います。

台湾に残る他の神社の石製鳥居は意図的なのか、笠木部分がはずされている事が多いです。


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▲左、灯籠のコンクリートの小石をまぶした表面。ちょっと懐かしい感じがします。中の写真は柱の先端部分。右の写真は神社入り口の鳥居。「昭和拾弐年七月吉日」の文字がわかります。つぎはぎだらけの修復跡が痛々しい。白い部分が修復された跡です。




*かつての黄金神社を再現!



この10本の柱の社殿とは、いったいどのようなものだったのか・・・。

昔の写真は残されてはいますが、私の趣味である3DCGでちょいと再現してみました。腕の方はまだまだですが・・・。



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▲前回の扉写真とほぼ同じアングルで、今・昔。見た目をわかりやすくするために、空の背景にしてみました。

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▲前回扉に使った写真

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▲斜め正面から、今・昔。全体の雰囲気がわかるかな? 社殿があると、やはり神社に見えます。



上の3DCGは二代目黄金神社、神明造の社殿です。10本の柱の方が拝殿、奥の小さいのが本殿です。神社の規模としてはそれほど大きくないとは思いますが、拝殿は高さが20メートル近くになると思いますので、近くで見ると結構な大きさに感じたのではないでしょうか。

この拝殿には壁がありません。神社では珍しい建築だと思いますが、なんという形式なのか調べても良く分かりませんでしたけれど、鎌倉の鶴岡八幡宮にある舞殿に近いイメージです。また、奈良県宇陀市の榛原に篠畑(ささはた)神社があり、ここの拝殿が黄金神社の壁のない拝殿に良く似ているように感じます。また、日本各地に壁のない拝殿を構えた神社が案外あるようです。

私はこのような形式の拝殿はあまりお目にかかった事がなく、珍しいなと思っていましたが、台湾に建てられた神社の古い写真を見ると、この舞殿風で建てられた拝殿がわりと多くあった事がわかりました。黄金博物館の資料の写真を見ると、明治 31(1898)に建てられた初代黄金神社も、入母屋造ではありますが舞殿風拝殿だったようです。




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▲本殿、今・昔。狛犬が本殿前にありました。

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▲昔の写真から幟も再現してみました。



台湾の第一号神社である台南の開山神社は、1600年中頃、オランダを台湾から追い出した英雄・鄭成功を祀る延平郡王祠の廟に拝殿を増築した神社なのですが、こちらも舞殿風拝殿で建てられていました。


これは私の勝手な考えですが、中華圏にある台湾では廟の文化があり、廟の建物は壁の外側に何本もの柱が立ち並び、屋根を支えている形式が多いように思います。

黄金神社の拝殿も一見廟に似ており、台湾人にも受け入れやすかったのではと、勝手な想像をしてしまいます。あと、熱帯・亜熱帯に属する台湾では、風通しを良くするために採用されたのかもしれません。

しかし、コンクリートの10本の柱も、社殿があると違和感なく神社に見えてしまうものなんですね。


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▲神社入り口の鳥居から



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▲神社入り口の鳥居から、今・昔



*台湾に現存する最古の神社遺跡??



このブログを書くにあたり、黄金神社の資料をいろいろ調べたところ、台湾最古の神社遺跡になるのではないかと思いました。2番目にできたといわれている「台中稲荷神社」は現存せず、1番目の開山神社は元々廟です。純粋に神社として建てられ、今もその跡を見ることができる神社としては、台湾最古になるのではないでしょうか。そういう意味では日本人にとっても貴重な場所になりますね。また、最近では金運のご利益があると、台湾でも注目のスポットになっているようです。


九份を訪れた際には、もう少し足を延ばし、黄金博物園區で鉱夫弁当を買ってハイキング感覚で黄金神社に登るのも楽しそうですね。
運よく晴れた日なら、絶景が待っています。



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▲かつての鉱山施設の跡が周辺の山々に残っています。右の写真は茶壷山と呼ばれています。山頂の部分が茶壷(日本では急須の事)にそっくり!


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▲本殿跡からの絶景! 



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