【新北】黄金神社 その1:謎の古代遺跡?

ここは新北市瑞芳区金瓜石の山の中、台湾で有名な観光地・九份から、さらに車で10分ほどの場所に謎の古代遺跡が・・・。


uapc17_9372_Z.jpg▲印象的な謎の柱群。まるで古代遺跡のようだ



この辺りは年間を通して降水量が多く、天候が不安定な場所として知られています。私がここを訪れた時も、小雨がぱらついていました。

遺跡まで行く山道は途中から険しくなり、ようやくたどり着いた途端、晴れ間が広がり青い空を覗かせました。見上げると、大きな神明鳥居。その先には青い空に突き刺さるかのような、背の高い10本の柱。ここは標高約400メートルほどですが、周りは山に囲まれ、遠くに青い海が見渡せ、風の音しか聞こえない静かな場所です。

そのため空を近くに感じるからなのか、ジブリのアニメ映画「天空の城ラピュタ」を思い起こさせます。



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▲黄金神社正面


ここは、かつて黄金神社とよばれた日本統治時代の神社の遺跡なのです。

ギリシャのパルテノン神殿を思わせる柱群には、これが神社だったのかと不思議に思うに違いありません。この神社跡は近年まで金鉱山だった金瓜石の山にあり、象徴的なモニュメントとしてその姿を残しています。

北東の方角の山々の向こうには、東シナ海が見渡せ、その遥か先には日本列島があり、かつてこの金瓜石鉱山で働いていた日本人たちは日本を感じられる場所として、参拝に訪れていたのではないでしょうか。


この金瓜石近くで1890年の清朝時代に砂金が発見され、1895年に日本が台湾を統治するようになってからは本格的に金鉱山として栄え始めました。戦後1987年の廃坑になるまでの約90年間におよぶ純金の総生産量はおよそ120トンといわれています。

ゴールドラッシュで賑わったこの土地は、当時の人たちにとってロマン溢れる場所だったことでしょう。


前回、炭鉱の街・猴硐にある「猴硐神社」を紹介しましたが、この場所は猴硐神社からは山の反対側にあたります。基隆・瑞芳地区は金や銅、石炭などの採掘も盛んに行われていて、戦前・戦後の台湾の繁栄を支えた場所といえるでしょう。



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▲堂々と立つ大きな神明鳥居。コンクリート製だったためか、台湾では珍しく鳥居の完全な姿を残している。ただ激しく破壊されたのか修復の跡が痛々しい。「金瓜石鑛山事務所員一同」と書かれていたようであるが、消された跡がある。反対側には「昭和拾弐年七月吉日」の文字がある。



この神社の正式な社号は「金瓜石神社」で、「黄金神社」または「山神社」と呼ばれていたようです。猴硐神社と同じく、鉱山での安全を祈願するために建てられました。現在は、黄金博物園區の一部になっています

廃坑になってからは立派な観光地として整備され、私が訪れたのが3月の平日だったにもかかわらず人が多く、観光バスなどで来る団体客などでも賑わっていました。

しかし、日本人にはまだそれほど知られた場所ではないようで、この時自分たち以外の日本人は見かける事なく、黄金博物園區の名物である「鉱工便當」(鉱夫さんのお弁当)を食べたお店では、「日本人が来た」と珍しがられてしまいました。

せっかく日本統治時代を思わせる弁当などがウリなのに、日本人があまり来ないし、知らないというのは、少しもったいない気がします。


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▲「鉱工便當」。ステンレスのお弁当箱は風呂敷に包まれ、昔の日本のスタイルで売られています。ご飯の上にお惣菜がちりばめられ、ころもの付いた大きな鶏肉が食欲をそそる。黄色いのは刻んだ沢庵だよ!食べた後のお弁当箱は水道で洗う事が出来、お持ち帰りOK



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▲下から黄金神社を見上げる 

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▲絶景!参道途中から東シナ海を望む


さて、黄金博物園區の博物館付近から山の上を見上げると、黄金神社跡を眺める事ができます。かなり標高が高いところにあるように見えるので、登るのをためらう人もいるでしょう・・・。

看板には黄金神社まで600メートルと表示があり、約30分弱の道のりです。私が訪れた3月は台湾では桜のシーズンだったのか、参道の入り口付近は台湾特有の若干ピンクが濃い桜がたくさん咲いていました。


参道も3分の1を過ぎたあたりから、舗装路からゴツゴツした登山道のような雰囲気になり、ちょっとした山登りの感覚を楽しめます。

後ろを振り返れば景色もだんだん開けてきて、海を見渡せる絶景に感激!

参道の半分ほどで石の階段が現れ、大きな石の鳥居が見えてきました。

鳥居の前には石灯籠が2基、その後ろにも石灯籠があったと思われる石の土台。それに付近には破壊されたような石の破片が生々しく転がっています。鳥居や灯籠の周りは背の高いススキなどに覆われ、それはどこか懐かしいような日本の風景・・・、周りには何もない山の中、外国とは思えない不思議な感覚が味わえます。


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▲階段の上に最初の鳥居が見えます。 鳥居や灯籠のある姿はやはり日本の風景にしかみえない。石の階段も傷みが激しいが、そのままだ




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▲参道途中に散らばる破壊された石の名版と日本語の文字がかき消された灯籠。一応観光地として整備された場所ですが、歴史上起きた事をそのまま保存しようとするスタイルは意義深いと同時に、日本人としては切ない気持ちにもなります


参道が右に大きく曲がり、コンクリートの大きな塊が見えてきました。

これは旗竿台です。当時のお祭りの時の資料写真では、ここに大きな幟が挿してありました。旗竿台の丸のマークは、この黄金神社を建立した日本鉱業株式会社の社紋です。


これを過ぎると、石灯籠と2つ目の鳥居が見えてきます。この周辺もまた破壊のためなのか、石の破片が散らばっていました。

実は黄金神社には鳥居が3基あったそうです。現在残されているのは、二の鳥居と三の鳥居だと思われます。

一の鳥居は多分参道の入り口付近にあったのではないでしょうか?

木製だったために、今は存在していません(黄金博物館資料による)。


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▲神社手前の旗竿台。表のマークはかき消され、裏には日本鉱業の社紋がそのまま残ってる。間から2つ目の三の鳥居が見える



ちなみに「はじめに その4 : 神社破壊命令」でも書きましたが、かつて日本の領土だった台湾中に、日本人はたくさん神社を建てました。敗戦で日本人が台湾を去ると、台湾中にあった神社は台湾人には不要の物となり、管理されなくなり、廃れていき、さらに大陸から移動して来た蒋介石率いる国民党により、排除されたり、何かに利用されたり。そして1972年の「日中共同声明」(日中平和条約を結ぶ前段階)と同時に台湾(中華民国)は日本と国交を断絶し、それを機に蒋介石国民党政権は日本の象徴的な神社などの建造物を本格的に破壊していったのでした。

三の鳥居だった最後の鳥居の手前の階段を上ると急に視界が広がり、大きな10本の象徴的な柱が目の前に飛び込んできます。神社に近づくにつれ、青い空が見え始め、着いた途端にまぶしい太陽の光が周りの山々を照らし始めました。乾いた空気が私の頬を通り過ぎ、心地よい風の音が踊るように聞こえます。ここはかつての繁栄の夢の跡。まさに天空の城・・・。





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▲本殿跡。社殿の姿はなく、基礎部分だけが残り、奉納と書かれた石の上にはお賽銭が置かれている。空は青く、海も青いのになぜか悲しくなる風景だなあ・・・


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▲私も日本のコインを置く。多くは台湾のコイン、他の外国のコインも置かれていた


鳥居や柱を見ると、ところどころ修復した跡が痛々しく残っています。
これらは敗戦国日本が受けた仕打ちの跡なのか・・・。

しかし壊された鳥居や灯籠を修復し、保存に努めてきたのは、かつての日本人が支配していた台湾人たちです。激しかった太平洋戦争が終わり、それから約70年の時を経てやってきた私は、この骨組みだけになった神社の姿を見て胸が熱くなりました。

かつての日本人がこの同じ場所から、マリンブルーの海の遥か彼方に祖国・日本を思いながら、ここで汗水流して働いていたに違いない・・・。そして異国の地で、お神輿を担いで楽しそうに祭りを謳歌していたであろう、当時の日本人たちに思いを馳せるのでした。



金瓜石神社を建立した日本鉱業株式会社(現・JX金属株式会社)が、2012年と2013年に黄金神社山祭りを復活させています。黄金博物園區にある桜並木もJX金属が植樹したようで、現在も黄金神社に関わりを持ち続けているんですね。


その2に続く。



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▲参道入り口の桜から二の鳥居を望む










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