湾生、中田芳子さん著『十四歳の夏』と花蓮の松園別館


「湾生」という方たちを御存知でしょうか?「湾生」とは、約70年前まで日本が統治していた台湾で生まれ育った日本人のことです。

彼らは日本の敗戦により、生まれ故郷台湾を追われることになり、祖国日本へ戻られた方々です。しかし、日本では生活の基盤も何もなく、苦しい生活が待っていたのです。


ucpf21_6900+6963.jpg
▲中田芳子さんの『十四歳の夏』、目頭が熱くなります。 松ぼっくりは
花蓮の松園別館の百年老松のもので、お土産屋さんで購入できます。



私が今年の5月に台湾に行った際、台湾の史跡研究で著名な片倉佳史さんが主催する台北の「建成小学校同窓会」に参加させていただき、湾生の方々と接する機会がありました。

そのなかで中田芳子さんという、とても素敵な御婦人に出会いました。

85歳だというのに若々しく、お茶目で楽しく、気さくな方です。中田さんは台北で生まれ、15歳まで台湾で育ち、台湾から出撃した特攻隊員と親交を持っていたそうです。その少女時代の体験を元に『十四歳の夏』という本を2012年に出版されました。

中田芳子さんのことは、恥かしながら私は存じ上げませんでしたが、逆さ歌シンガーとして有名で、なんとスマートフォンを自在に操るユーチューバーなのです。
テレビ出演も多く、うちのかみさんはよく知っていたのでした・・・。


その中田さんが書かれた『十四歳の夏』・・・、とても読みやすくて面白く、2日で読み終え・・・、心が震えました。

まるで女性目線からの「永遠の0」です。

「永遠の0」は事実を元にしたフィクションなのですが、まさに似たような体験をお持ちの方だったのです。

「永遠の0」の主人公は凄腕の戦闘機パイロットとして激戦を潜り抜け、神風特攻隊の教官になり、教え子が次々と特攻に出撃して帰らぬ人となっていくのを目の当たりにして悩みました。そして生きて帰るという自身の誓いを破り、自ら特攻に志願したのでした。

出撃の直前、自分の零戦の不具合を見抜き、一緒に出撃する教え子に自分の家族を託すため零戦を交換し、自分は敵艦に体当たりして帰らぬ人となったのです。教え子は不時着の末、生き残りました。


中田さんの『十四歳の夏』は当時14歳の少女だった中田さん目線で、沖縄の空に散っていった若き特攻隊員への淡い恋心や思い出を綴った本です。

そして中田さんは、台湾で出会った特攻隊員の生き残りの方と戦後に御結婚されました。

旦那さんになった方は自分が出撃する日の直前に、他の仲間と出撃の日を変えられ、そのまま終戦に・・・。仲間の命と引き換えに生き残った自分を生涯思い悩んでいたと書かれています。

実は、私の身近にも海軍航空隊の予科練に志願した人がいます。予科練は、戦争末期、特攻隊養成所といってもいい所になっていました。そこでは遺書を書く練習もし、本人も死ぬ覚悟をしていたそうです。

先輩方が次々と出撃するのを見送って自分も後から行くと、中田さんが知り合った特攻隊員たちと同じ気持ちを持っていました。しかし終戦のため戦地に行くことはなく、今も健在です。


なぜ、彼らは自ら死を選んだのか・・・、戦争当時の雰囲気を知り、毎日のように特攻隊員とふれ合っていた中田さんだからこそ、彼らの気持ちを敏感に感じとり、彼らの思いを綴っておられます。
是非、みなさんに読んでいただきたい本だと思います。




IMG_2864_▲蔦の絡まる松園別館外観.jpg
▲蔦の絡まる松園別館外観


この本には台湾から沖縄へ出撃する特攻隊員が最後の盃を交わしたとされる、台湾の東側で太平洋に面した花蓮の松園別館という所が出てきます。

私は松園別館を2度訪れていますが、2階建ての蔦が絡まる洋風のおしゃれな建物です。雑誌のロケなどで使えそうで雰囲気抜群。

敷地内には立派な松の木が何本も植えてありますが、当時の日本人が植えた沖縄の琉球松だそうです。松の木は台湾では珍しく、とても大切にされているそうです。


  
ukne24_4256_▲外廊下から松の木越しに花蓮の町と海が一望できる.jpg
▲外廊下から松の木越しに花蓮の町と海が一望できる


2階の外廊下からは、南国特有の太平洋の青い海が望めます。天気のよい日は最高の眺めですね。特攻隊員たちはこの美しい海を見ながら飛んでいったのかと思うと、少し目頭が熱くなってしまいました。

松園別館は1942年に陸軍兵事部として建てられ、花蓮における軍事指揮の拠点として使われていました。

戦後はアメリカの軍事顧問団が使ったりしていましたが、その後使用されなくなってからは幽霊屋敷とも呼ばれていたそうです。

他の施設に建て替えるなどの計画がありましたが、日本の特攻隊の隊員たちの思い出の場所だということで、地元の人々が取り壊しを反対し、今のように保存されることになったそうです。


しかし、松園別館の姿を見て残念だと思ったのは、博物館的な展示はほとんどなく、まったく関係ない現代アートの展示をしていたり、カフェになっていたり、雑貨のお店があったり・・・。

こういうのが台湾人って好きなんでしょうか。
そういえば台北でも、統治時代の建物を利用した施設などには、必ず現代アート的なものを見かける気がします。一見、元の施設と関係のない使い方をしているのは、実はその建物を守るためなのでは・・・?

松園別館の方と話をしていて、そんなことを感じました。とにかく、このような施設を残してくださっていることはありがたいことですね。


 
IMG_2852_▲松園別館からの海の眺め.jpg
▲松園別館からの海の眺め


ubpe15_0666_▲花蓮港から見える松園別館。外から見え難くするために松の木を植えたそうです.jpg
▲花蓮港から見える松園別館。外から見え難くするために松の木を植えたそうです

戦跡の色をまったく見せない松園別館ですが、唯一防空壕の跡があります。松園別館の方も、少しでも戦争当時の事を知ってもらいたいとおっしゃっていました。防空壕の中は狭くて天井が低く、薄暗く、航空兵と思われる人形がピースサインをして飾られています。そして大音量で流されている軍歌。壁には軍歌の歌詞が大きな字で書かれています。

日本はアジアのために戦い、追い詰められ、特攻隊が編成され、ここ花蓮からも沖縄に集結したアメリカ軍の艦船めがけて散っていった・・・。



ubpe16_1871_▲壁には大きな字で軍歌の歌詞が書かれています.jpg
▲防空壕内部。壁には大きな字で軍歌の歌詞が書かれています

 ubpe16_1865_▲.jpg ubpe16_1859_▲防空壕内部。軍歌が流れています.jpg
▲胸のハートには、「ぼく一郎!世界平和のために一緒に写真を撮りましょう。でも叩かないでね!」と書かれているようです(たぶん)


公共の施設で、日本では考えられない展示です・・・。

靖国神社の遊就館の上をいく勇ましい展示。

台湾ではこのように、軍国主義ではないか?と思える場面にたまに出会ったりします。それは戦後、戦前の歴史にフィルターがかけられ、軍隊アレルギーのようになってしまった日本とは違い、台湾では当時の意識がそのまま純粋に残されているのではないかと感じます。

中田さんの本を読んでも感じたことですが、半ば命令に近かったとはいえ、特攻隊の人たちは身近な家族、友人を守りたかった、その根幹となる大きな集合体の国を心底守りたかったのです。
この防空壕の展示も、そういう趣旨に感じました。

それは台湾が大陸中国と常に緊張状態であり、国防意識も高い人たちが多いからなのでしょうか・・・。


そういえば台湾映画、「­­­湾生回家」が今年の秋に日本で公開されます。

楽しみですね。



ubpe15_0689_▲花蓮の街中で出会ったネコちゃん.jpg
▲花蓮の街中で出会ったネコちゃん


この記事へのコメント

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/439294899
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック