【新北】猴硐神社 その1:サルなのにネコ村にある朽ち果てそうな木の鳥居


ここは新北市瑞芳区。台北駅から約一時間、宜蘭線の猴硐駅から歩いて約15分。周辺には民家が数軒しかない、ひっそりとした山の中。

猴硐神社は鳥居と灯籠と参道の階段だけが残り、周りの木々に埋もれ、自然と一体化しているようでした。


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▲2016年3月撮影


この辺りは別名猫村と呼ばれています。駅の名前は「猴硐(ホウトン)」。新北市のウェブサイトによると、昔は「猴洞」と呼ばれていて、サルの洞窟という意味です。日本統治時代、この土地は炭鉱だったため、洞の字が炭鉱内に水が出そうで縁起悪いと、石偏の「硐」の字に変えて「猴硐」になり、戦後中華民国政府が「猴」の字が嫌で人偏の「侯硐」に直し、最近また日本統治時代に使われていた獣偏の「猴硐」に直したそうです・・・。ややこしいですね(現在併用)。
お国によって気にするところが違うのが面白い。

しかし、今ではサルの洞窟ではなく、ネコのたまり場として有名なところです。猴硐駅を降りるとネコちゃんがごろごろいます。駅前もネコカフェやらネコグッズ屋で賑わっています。

私はそれらには目もくれずに神社へ向かいました。べつにネコちゃんが嫌いなわけではありません・・・。

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▲遊歩道のような階段から山の中へと入っていきます。雨で道が濡れていたため、滑って崖から落ちそうになったので要注意です! 階段を登り切ると、目の前が開けて道路が見えてきました。このまっすぐ前方に、神社の鳥居が見えます。


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▲途中見える猴硐駅方面のほのぼのとした景色がなかなか。関東でいえば、青梅の山の中のような景色。大きな橋は瑞三大橋と呼ばれ、地元の炭鉱会社が戦後再建したものです。けっこう絶景です!




瑞三大橋を渡り、遊歩道の階段を少し上がると道路に出ます。この道路沿いに神社跡への入り口があります。反対側の介壽橋からも行けますが、地図で確認したところ、瑞三大橋からだと鳥居の正面に出られます。

この先に神社跡がある・・・、自分の目ではじめて見る光景はなんともドキドキわくわくするもんですね。


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▲猴硐神社入り口。交通量の少ない道路沿いの、ひっそりとした山中にこっそりとあります。完璧な形で残っている明神鳥居がうれしい。

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▲鳥居の柱に彫られた奉獻の文字。柱の裏には、昭和19年4月建立とかすかに確認できます。しかし、文字は何かで埋められていて読めないようになっていたようです。それは、日本の象徴的なものを排除した時に、地元の人が日本の年号を見えないようにして守ってくれたのかもしれません。


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鳥居は石造りでずいぶん黒ずんでいますが、笠木が綺麗に反りあがった明神鳥居です。鳥居は林の茂みの中にひっそりと隠れるように立っていました。台湾では完璧な形で鳥居が残っているのは珍しい方だと思います。
よくぞ残ってくれていました・・・、と感謝と同時に台湾の波乱に満ちた歴史が目に浮かんできます。

近づいてまず目に入ったのが、鳥居の柱に彫られた「奉獻」の文字。

外国で日本の文字を確認できると、胸にこみ上げてくるものを感じます。

台湾の神社にはもう日本の神様たちはいらっしゃいませんが、過去に神様が鎮座していた場所ということで、私は少なくとも一礼することにしています。二礼二拍手一礼も気が向いた時にしていますが、大げさですかね・・・。これは信仰心というより、単に礼儀だと思っているからです。

日本の信仰は本来自然崇拝なので、その土地に対する尊敬のような感覚です。台湾の廟に行ったら、一礼の挨拶だけでも廟の神様にしています。


この鳥居をくぐると石の階段があり、上に拝殿、本殿があったと思われますが、なにやら休憩所のような東屋が見えます(ちょっと悲しい)。
と、見上げてたら思わぬものが目に飛び込んできました。

な、なんと、木造の鳥居と思わしき柱が・・・。



uapc17_9645.jpg木造鳥居を下から見上げる。一度倒れて立て直したのか、少し傾いています。


近づいてみると笠木部分が外れてはいますが、鳥居に間違いありません。

木造であるためかなり朽ちていて、正面から見ると左側に傾いています。

が、しかし、これは創建当時からあった木造の鳥居なのでしょうか??

それとも近年、復元されたものでしょうか?それにしてはかなりの時が経っているようです。
この猴硐神社は昭和(1934)創建といわれています。屋根があるわけでもなく、直接雨ざらしになるわけで、70~80年も前の木造の鳥居が本当に現存しているのだろうかという疑問がわいてきました。

しかし柱に水平に付いている貫の接合部分など、日本の建築様式に見えるし、かすかに朱色の塗料のようなものも確認できます。


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▲笠木が取れて、崩れそうな鳥居はまるで十字架のよう。柱の根元は腐って一度崩れたようです。



台湾人のブログで、1996年にこの鳥居の前で撮った写真を見つけました。その時の写真には少しくたびれてはいるものの、鳥居はしっかり立っていて、笠木もまだあり、明神鳥居の形をしています。それから20年の時が経ち、朽ち果てそうな姿になってしまったのか・・・。


どうやら本当に当時の物なのかもしれません。とにかく貴重な鳥居に間違いはないでしょう。海外で戦前の木造鳥居に巡りあえたなんて・・・。

神社好き冥利に尽きます。


この鳥居を見てて、なんだか人の一生を見ているような気がしました。

人は死を迎えれば、その人の記憶はだんだん薄れ、その人がまるでいなかったかのように世の中は淡々と進んでいきます。
今は日本統治時代を生きた人々がまだ健在なことも多く、台湾人にとってその記憶もまだ生きた歴史・・・。

やがて何十年、何百年と経てば当時の人間はいなくなり、単に昔の出来事として歴史の一コマになってしまうでしょう。台湾に残る日本文明の痕跡というのは台湾の中でもそう意味のあることではなくなり、そしていずれ台湾人の記憶から忘れ去られていくのかなと、ふと思いました。


猴硐神社、まだつづく・・・


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▲階段を登り切ると、かつて本殿があった場所に・・・。今は広場になっていて、小さな花が風に揺られて咲いていました。この場所の近くのバス停の名前はなんと、「日本神社前~~」です。



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