はじめに その4:神社破壊命令??

70年前、異国の地に置き去りにされた日本の神社遺跡の数々。

ガイドブックに載っていない、日本人にはあまり知られていない。

波乱万丈な台湾の物語、異国に建てられた神社の運命・・・。 

はじめに、の最終話。



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*中華民国、基本情報


1912年、中華民国は孫文を筆頭に大陸で産声を上げましたが、袁世凱の暴走により挫折します。その後中国内は混沌とし始め、各地にいろいろな勢力が生まれ、天下争いになっていきます。その中で代表的なのが毛沢東率いる共産党と、蒋介石の国民党です。

日本と戦った蒋介石の国民党は、中華民国政府として連合軍に属し、戦後に国際連合に発展すると、安保理常任理事国の一員になっていました。

第二次世界大戦後、共産党との内戦に負けた蒋介石は台湾へ移動します。そして毛沢東率いる共産党は1949年北京を首都に建国します。これにより世界には二つの中国があるといわれるようになりました。



*神社が破壊されていく


終戦から26年後の1971年、一大事が起きます。

中華人民共和国が国連で本家中国と認められたのです。

これにより常任理事国の座を失った中華民国は国連を脱退しました。


日本は佐藤栄作内閣の時までは、二つの中国を認める立場でした。世界が中国は一つという動きになる中、日本は世界で孤立していきます。

そして最後まで日本と同じ立場だったアメリカは、いつのまにか中華人民共和国と手を結んでいたのでした。


翌年の1972年、佐藤内閣は退陣し、田中角栄が総理になるとすぐ、中華人民共和国と「日中共同声明」を出します。日本もついに中華人民共和国が中国であると認めることになり、中華民国と結んでいた「日華平和条約」は事実上失効して、台湾と日本は断交したのです。


その2年後の1974年、中華民国政府は台湾で「清除臺灣日據時代表現日本帝國主義優越感之殖民統治紀念遺跡要點」という法令を正式に発します。

つまり「日本を象徴する建造物の徹底排除」、神社などの破壊命令です。


1945年あたりから、台湾では神社は不要なものとして撤去されたり忠烈祠や廟などに転用されたりしたそうですが、この法令によって正式に破壊されていったのです。蒋介石からすれば恩を仇で返されたも同然です。きっと日本に失望したのでしょう・・・。


そして翌年、蒋介石は亡くなりました。

まだ青年だった若い頃に日本へ渡り、そして日本と戦い、戦後は元日本軍人に頼り、彼の一生は日本と共にありました。彼の犯したさまざまな事の中には許されるべきではない事もありますが、歴史上の人物として捉えると、大変興味深い人間であると私は感じてしまいます。


動画で見た記憶があるのですが、日本統治時代を生きたお年寄りが涙を流しながら語った言葉に私は心を動かされた事があります。「日本は台湾を二度捨てた・・・、それがくやしい・・・」

一つは1945年、もう一つは1972年を指すのだと思います。


本省人もまた、日本統治時代に日本を祖国と思い始めていたのに突然捨てられ、そして完全に縁を切られたという思いが強かったのでしょう。



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*台湾の民主化、神社も復活


時は経ち1987年、約40年間続いた戒厳令は解除されました。

翌1988年、国民党の中から台湾生まれ、元日本人と称する李登輝氏が総統になったのです。43年間続いた外省人による政治が終わり、それからの台湾は劇的に変わっていきます。

台湾の中で禁止されていたさまざまなものが自由になりました。日本文化をはじめとする外国文化、言論も・・・。


蒋介石の息子である前総統蒋経国は、40年も台湾で暮らしてきて大陸での中華民国再興の夢も薄れてしまったのか「私はもう台湾人だ」という言葉を残したといわれています。本省人の李登輝氏が次期総統になったのも蒋経国の意思が働いていたのかもしれませんね。


1989年は世界的に民主化の動きが出てきた頃です。ベルリンの壁は壊され、その後のソビエト連邦の崩壊へと連鎖し、世界は本当に変わるんだと誰もが思いました。日本にとっても区切りの年でした。昭和天皇が崩御され、新しい平成の時代の幕開け。そして2000年には台湾ではじめて民主的な選挙が行われ、初の政権交代が実現したのです。


李登輝氏によって、戦前の日本統治時代を生きてきた人々は心が解放され、戦後教育を受けたものにとっては日本観を180度変えられました。

神社などの破壊命令が出た後、日本を愛してくれていた台湾人たちの中には、国民党の目を盗み、さまざまな工夫でなんとか神社の断片だけでも残そうとした人たちがいたそうです。そして李登輝氏による改革の影響で神社は次々と修復され、後世に残されるようになりました。


また新しく建てられた碑などに「大和魂」などと書かれたものも登場します。それはあまりにも抑圧されていた時代の反動なのでしょうか・・・。
台湾という言葉が、国をさすように言われはじめたのもこの頃からだと聞いた事があります。


近年、日本時代の史跡探索などがブームになり、最近では日本統治時代をテーマにした映画が何本も上映され、次々と台湾でヒットしています。そしてまた日本統治時代の建物が修復・復元され、おしゃれな商業施設に生まれ変わっています。


今の日本人はすっかり戦前の記憶をなくしている・・・。

いや、戦前の良くない情報ばかりがどんどん入ってきて、もやもやとわだかまりが膨らむ一方で思い出したくないのかもしれません。

台湾のお年寄りたちが日本統治時代を懐かしみ、楽しかった思い出を語る本に出会ったことがあります。「日本の時代は良かった」という言葉も実際耳にします。そのお年寄りたちの記憶が、今の日本統治時代を懐かしむ、また新鮮に感じるという若い人たちの親日ブームのベースになっているのではないかと・・・。


近代の日本は力をつけ、欧米に負けまいとして周辺諸国を巻き込んでいきました。反省すべき事ももちろん多くあると思いますが、その当事国の方々が語る、また大事にしている日本を日本人が受け止めるのもまた意義があることではないかと、密かに思います。


私も意外だったことに、このような日本時代の史跡を探すのに案外台湾人は協力的で、戦中の史跡でも若い台湾人も進んで教えてくれたりします。

台湾の人々は覚えてくれているんです。


異国の地で大切にされている日本の象徴のような神社の遺物を見たら、きっとなにか心を動かされるに違いありません。
残念ながら、御朱印はもらえませんが・・・。




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▲圓山水神社。ここは一修復された神社ですが、周りには破壊されたままの姿が残っています。  ひっそりとした山中にあり、訪れる人も少ないのか、何十年も時が止まったような静かな場所でした。




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